TAKAKUゼミナールのブログをお読みの皆様、こんにちは。

表の稲垣直剛(いながき なおたか)
です。



Twitterを使い始めてから、いわゆる「教育界隈」「塾界隈」と呼ばれるコミュニティーの相互フォロワーさんが沢山でき、全国の様々な学習塾さんの取り組みや講師の皆さんの想いに触れる機会が格段に多くなりました。

都道府県によって入試の日程にもかなりの幅があり、問題の傾向や配点も驚くほど違います。

このブログをご覧の皆さんは当然ご存じだと思いますが、静岡県は1教科50点の250点満点です。

学校や学科によっては傾斜配点(英語は実際の点数の1.5倍で計算)などの特殊な例がありますが、ほとんどの場合はこの250点内で勝負することになる訳です。

個人的には1教科100点のテストに比べて点数が取りにくく、わずかな出来で大きな差がつくテストだと思います。


参考までに、私の地元の愛知県では1教科22点で110点満点のテストになります。

これはこれで点数の取りにくいテストですが、ほぼ実力通りの点数が出るという意味で大成功も大失敗も起こりにくいと思います。

ただ、今年から選択肢のマークシート式に変わったので、どんな結果が出るのか興味深いところではありますが…。


閑話休題。

とはいえ、入試の当日点で勝負する前には内申点での篩い分けがあります。

3年間の積み重ねが形になった中3二学期の内申点です。

これが「斬り込み刀」になるか「鈍ら刀」で終わるか。

本当の所は私たちも確実で正確なことを言えるわけではありません。

でも定期テストで点数さえ取っていれば自然に上がる類のものでないのは確かです。

こつこつと真面目に取り組んだ提出物を出し続け、授業内では率先して発表に加わり、授業外でも意欲的に先生の所へ質問に通い…。

そうして勝ち取った1という数字の積み重ねです。


「そうまでしていい点数が欲しいかよ」とか

「張り切っちゃってカッコわりぃ」とか

時にはそういう周りの揶揄に耐えながら、3年間かけて手にした内申点に誇りを持って欲しい。


使い古された格言ですが、やはり

「努力した人が皆結果を出せるわけではないが、結果を出した人はすべからく努力をしてきた人である」

というのは真実だと思うのです。


その努力(あるいは努力の忌避)が自分の人生にどんな影響を及ぼしたかが本当にわかるのは、何年も、あるいは何十年もあとであることがほとんどです。

そのことに気付いた時、

「私は私自身の手で人生を切り拓いたんだ」と思えるか、

「僕は僕自身の手で扉を閉じたんだ」と後悔するか、

その違いの大きさを知っているからこそ、謙虚になって子どもの前に立ち、怖れと闘いながらも塾の講師を続けられるんだと思います。


私は偉そうに「人生の成功者」として子どもに接することはできません。

謙遜などではなく、努力を忌避してきた側の若者(ばかもの)であったからです。

でも「しくじり先生」として反省(と半生)を伝えることならできます。


人間はそうして「自分がついぞ成し遂げられなかったこと」を後進に伝え続けることで進歩したり成長したりしてきたのではないでしょうか。

そして、その「後進」の代表は自分自身だと思います。


文字通り「後から進んできた自分(未来の自分)」が何を受け取ってくれるか。

「先を進んで行った自分(過去の自分)」をどんな目でみるのか。


そのことを今、少しだけ立ち止まって考えてみてください。

残り2日ですべきこと、すべきでないことが見えてくるでしょう。

少なくとも私は私の生徒にそのために必要なパーツは手渡したはずだと思っています。


受け取ってくれましたか?


さて、今日の応援ソングは昨日と同じ「傘村トータ」の「18歳の責任」です。

昨日の「15歳の責任」の歌詞と見比べつつ、

ぜひ「今の自分の姿」と「3年後の自分の視線」に思いを馳せて聴いてみてください。


(以下は歌詞の引用)


これから私が生きていく道が
正しいのかどうか分かりません
そもそも正しいってなんだ
分からないけれど
人生が笑って終われたらいいのかな


自分だけで決めた道でないにせよ
自分で選んだこの結論ではある
私の人生は私だけのものじゃない
もうわかる 今ぐっと重く感じています


(中略)

悔しいことなどない あっても口にはしない 強がりでしょうか、ええきっと そうでしょう 怖いからと震えていた私は置いてきた これからは私が私を守る これまで私が生きてきた道が 正しかったなんてはっきりとは言えない でも分かってきたのは みんなこうやって こうやって大人になるんだね

(中略)


15歳の私が 私を見ている
あなたのせいじゃない まだ、そのときは
私の背中はどう見えてますか
闘ってたあなたに呆れられないといいな
「15歳の私」(あなた)の人生はこれから本当に
私の人生です


ランナー